鬼滅の刃の舞台となった大正時代から、昭和、平成、令和と時代は流れ、世相に応じて教育の在り方、システムや価値観もバージョンアップを繰り返しています。
昭和のトップダウン型マネジメントの時代では、親や教師から厳しい躾や教育を受けて成長してきた方も沢山いらっしゃるでしょう。
平成に入ると、数学リテラシー、科学的リテラシー、読解力の国際的な順位が急落し、これがPISAショックと呼ばれ、それまでの「ゆとり教育」から「脱ゆとり教育」へと転換していきました。
令和の時代では、アクティブ・ラーニングやプロジェクトベースラーニングのような先進的な教育が日本でも注目されつつあり、教師はファシリテータとして、生徒に寄り添う形に転換しようとしています。
これに対して、智弁和歌山高校を指導したイチローはこんな言葉を残しています。
・指導者はある程度強い存在でないと難しいでしょ。
・子供のほうが立場が強くなってしまったら教育できないでしょ。
・(智辯和歌山は)そのバランスが絶妙でしたね。
・厳しいだけじゃダメ。そこに愛情があるから成立するんですよ。
世代間の価値観により、いろいろな愛情の形がありますが、原理原則は変わらないということでしょうか?
あなたのアイノカタチはどうでしょうか?